初めて日本へやってきたパンダは、1972年のカンカンとランランです。
しかし、今から約1300年前の飛鳥時代に、中国から日本へパンダが贈られていたという説をご存知でしょうか。
日本書紀に記録された、ヒストリーの真相に迫ります。
飛鳥時代に日本へ贈られたパンダ
中国が唐の時代だった7世紀、日本でいう飛鳥時代にパンダが日本へ贈られていたという説があります。
奈良時代に成立した歴史書『日本書紀』には、則天武后が生きた「羆」2頭と「羆の毛皮」70枚を朝廷に献上したと記録されています。
則天武后といえば、中国史上唯一の女帝。
そして、中国ではかつてパンダを「羆」と表記していました。
この記録が事実であれば、1972年にカンカンとランランが来日する1000年以上前に生きたパンダが日本へ渡っていたということになります。
その場合、中国がおこなった史上初のパンダ外交だといえるでしょう。
飛鳥時代に唐から「羆」が贈られているよ。
日本書紀の「羆」はパンダなのか?
飛鳥時代にパンダが来日していたという説は、非常にロマンを感じる話です。
しかし、これらの話は歴史学的に証明されているものではありません。
日本書紀に記録されている、該当部分を見てみましょう。
是歳、越国守阿倍引田臣比羅夫、討粛慎、献生羆二、羆皮七十枚
(出典:日本書紀卷第二十六)
確かに「羆」は、中国でパンダを指す際に用いられていた表記です。
しかし、中国でパンダを「羆」と表記する用例があった時期と、日本で日本書紀が成立した時期は大きく異なっています。
そのため、現在日本書紀にある「羆」という表記は、ヒグマやトナカイなど、ほかの動物を指していると解釈されています。
7世紀に日本へパンダが贈られていたという説は、ドイツの作家ヘルベルト・ヴェントが日本書紀の記述をもとに提唱したのが始まりです。
当時の技術でパンダをどのように日本へ輸送したのか、本当にパンダが来日していたとしたら詳しい資料が残っていないのはなぜなのかなど、謎はつきません。
「羆」の正体はなんなんだろう?
まとめ
・7世紀にパンダが来日していた可能性がある
・日本書紀によると、唐から「羆」2頭が贈られた
・パンダを「羆」と表記した用例がある
・日本書紀の「羆」はヒグマ、トナカイの可能性
7世紀にパンダが来日していた可能性があるよ。